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先日に続き、また俵万智さんの子育て歌集からお気に入りの1首を。




たんぽぽの 綿毛を吹いて 見せてやる
いつかおまえも 飛んでゆくから




元々、たんぽぽは私の好きな花のひとつだったけれど、
昨年、元養護の先生に頂いた手紙を読んで以来、
娘たちにその姿を重ねるように…。

先生とタンポポ娘にありがとう




長く、深くまで張る根、
可憐な花、
遠くまで飛んでいく綿毛…。


娘たちが幼い頃、目の前で綿毛をふうっと吹いて見せてあげるのが楽しみだった。


(以下、文中より引用)
たんぽぽの綿毛は、たんぽぽの子どもたちだ。
地面に根をはっている母親は、子どもたちのこれからを、見とどけてやることはできない。
ただ、風に祈るばかり。


たんぽぽの母さん、せつないだろうなあーそんなことを春の斜面で思うようになったのも、
自分が子どもを持ってからのことだ。
そしてまた、「見届けられない」という点では、実はたんぽぽも自分も同じである。

(引用ここまで)


当たり前なんだけど、
普通で考えたら、私は娘たちの人生を見届けることはできない。

そう思うと、
”娘たちに人生の起点を授けた”
それだけで、母親の役目の大半は終えたような気もしている。




いつかは終わりがある娘たちとの時間。





それを知っているからこそ、
今、娘たちと一緒に過ごせる「たんぽぽの日々」を大切に、
できるだけ愛おしみながら過ごしたい。



綿毛が無事に、
願ったところまで飛んでゆけるように。



明日は母の日。
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2019.05.11 Sat l 絵本以外の本 l コメント (0) トラックバック (0) l top
実はここ数年、短歌にハマっている。

日曜朝のNHK短歌、

朝日歌壇、

新聞の群馬版の歌壇


は必ずチェック!


自分でも詠んでみたいけれど…独学で?!できるだろうか?



最近、好きな歌集はこちら。



『サラダ記念日』の俵万智さんが、子育てや親の心を1人の母親として詠い収めた歌集。



乳幼児期の子どもを詠ったものが多いのかと思っていたら、
いやいやどうして、
思春期に差し掛かかる娘の母の心にも
ドンピシャッと迫ってくる。



数日に分けて、いくつかご紹介したい。

ここ数年の私の心境に一番近いのは、この歌だろうか。


親は子を育ててきたと言うけれど
勝手に赤い畑のトマト





実はここ何年も「子どもを育てている」実感がない私。
「育てる」「育てよう」という意識が強く働いたのは、
超低出生体重児で生まれた2人と対面してから、
彼女たちの幼稚園時代までだろうか。


いや、正確に言えば、幼稚園時代も、
大半は、「私の子ども」というより、
「共に生きる信頼できる人たち」という意識で関わっていた気がする。




もちろん、娘たちを産んだのは間違いなく私だし、
彼女たちが大切な存在であることには間違いないのだけれど。



小学2年、小学3年と始まった娘たちの不登校に混乱しながらも向き合い、
時に寄り添い、
時に後ろから見守る日々の中で、
娘たちの内面から湧き上がる
”成長したい”

”良くなりたい”
という強い想いをまざまざと見せつけられる場面が何度もあった。




だからかな?



子どもを導くとか、
子どもを動かすとか、
親が子どもを引っ張りあげるようなイメージの”子育て論”には違和感を覚えてしまう。
(時々、心揺れるけれど。)



文中の河合隼雄さんの言葉に共感を覚えた。
「教育っていう言葉を我々はつかっていますが、
教えることのほうに比重がかかりすぎてはいませんか。
育てることにも、力を注がなくては」


「そして『育てる』というのは、子どもが育つのを手助けするという意味なんです」

(文中より引用 ここまで)



親はただ、その子の持っている宝を認め、
その宝を存分に生かしてゆけるように手助けをしてあげる存在でいいんじゃないだろうか。


「育てる」「育てた」「育ててきた」って、
良く聞くけれど、
私も言ったことがあるけれど、
振り返ると、それは
「教える」「教えた」「教えてきた」だったんじゃないかな?







子どもが自身の人生をいきいきと生きてゆけるように、
私にはどんな「手助け」ができるだろうか?


トマトがトマトとして輝けるように。


それを考えながら、子どもたちに寄り添い、共に歩むってことが、
子育てなのかもしれない。


2019.05.08 Wed l 絵本以外の本 l コメント (0) トラックバック (0) l top
ああ、
もっと若い頃(10~20代)に出合っていたかったなあ~




そう思える本に最近、よく出くわす。


もちろん、いま読んでも、確かに面白いのだけど。





みんな仲良し

私たち、友だちでしょう?

友だちだよね!

いじめゼロ




そんな訳ないのに…。


今の娘たちの周りの環境と、私が子どもの頃、
30年以上の差はあれ、
状況はあまり変わっていない気がする。



試行錯誤を重ねながら、
私は他人との心地よい距離感をつかめるようになってきたけれど、



そもそも群れることが苦手なのにも関わらず、
一人ぼっちも寂しかった、あの頃の私。


もっと早くこの本に出合っていたら、
必要以上に悩んだり、
傷ついたり
せずに済んだのかもしれない。



今回、母親の立場で一番興味深く感じたのは、
”家族との関係と、大人になること”
の章。


親子は、他者性ゼロからスタートして、
やがて少しずつ他者性をお互いに認めるような方向に行かざるを得ません。



思春期が近づくにつれて、子どもが自立できる方向を見定めながら、
丁寧に手間暇かけて育てなければならない。

(文中より引用 ここまで)



他者性に関しては、”不登校”を契機に、
かなり娘たちに学ばせてもらっている(笑)気がするけれど、


正反対のベクトルを意識しながらの子どもへの働きかけって…
これまた高度だなあ。



親子、
夫婦、
友人…

結局は、”他者”同士の関係性。

複雑な人間関係の中、

つながり
を築きつつ、
必要以上に傷つかない



そんな関係性を育んでゆきたい。



この新書も、もっと前に出合いたかった!
2019.02.23 Sat l 絵本以外の本 l コメント (0) トラックバック (0) l top
わたしの好きな絵本ベスト5はこれっ!
と、長女。


厳密に言えば、”絵本と児童書ベスト5”だけど、まあ、いいか。
ご紹介すると…


第5位
『きょうりゅうが学校にやってきた』




第4位
『チョコレート工場の秘密』





第3位(同位で2冊あるそう)
『ねえ、どれがいい?』
       
『はろるどの ふしぎな ぼうけん』




第2位(こちらも同位で2冊)
『一さつのおくりもの』
        
『クララ先生、さようなら』


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<なぐり書きです…笑>






そして、栄光の第1位は…

『しっぱいにかんぱい』




ああ、やっぱり。


上手に学校へ通えなくなった小学2年生の頃、よく読んでいた本だ。
今も娘の机の上に置いてあるのは、
時折、読み返すことがあるのかもしれない。



色々経験を積んだ大人から見たら大したことではない失敗も、
当人の子どもにとっては重大なんだよね。


いつのまにかふてぶてしく(笑)なった私だけど、
子どもの頃は、全てが初めての経験で、
自信がなかったり、不安だったり、必要以上に失敗を恐れた気がする。



しっぱいには、
いのちにかかわるほどの大きなしっぱいもあるけれど…。
しっぱいして大きくなるんだし、
ときがたつと、
しっぱいがいい思い出になるんだね。

(文中より引用 ここまで)




主人公の加奈が、自分の失敗を笑い話にできる日がくるように。

長女が”失敗だ!”と感じていることを、いつか笑い話にできる日がくるように…。


かんぱい!

心の中でグラスを持ち上げる。




作者の宮川ひろさんが昨年12月29日に亡くなった。


宮川ひろさんの作品は、どれもこれも好きだけれど、
小学生時代に出合った、思い出の本といったら、こちらだろうか。

        
母親になった今、改めて読み返したら、何を感じることができるのだろう。


”つうしんぼシリーズ”にはまっていたあの頃の私と、
”かんぱいシリーズ”に心を動かされた長女。


思いがけず、宮川ひろ先生の作品で繋がっていたことが、なんだか嬉しい。



ご冥福をお祈りするとともに、
これからも母娘で先生の作品を読み続けていきたいと思う。





さて、私の中の第1位の絵本は…


やっぱりこれだな。

2019.01.10 Thu l 絵本以外の本 l コメント (0) トラックバック (0) l top
メリー クリスマス!



みなさんのおうちに、サンタさんは、やってきましたか?



毎年、この時期になると、読み返したくなる一冊の本がある。



(以下、引用)

心の中に、ひとたびサンタクロースを住まわせた子は、
心の中に、サンタクロースを収容する空間をつくりあげている。
サンタクロースその人は、いつかその子の心の外へ出ていってしまうだろう。

だが、サンタクロースが占めていた心の空間は、その子の中に残る。

この空間がある限り、人は成長に従って、サンタクロースに代わる新しい住人を、
ここに迎え入れることができる。


(引用ここまで)




10歳になる娘たちは、1か月くらい前から、

サンタさんに何をお願いしようかなあ?

手紙を書こうかなあ?

やっぱり変更して、あれをお願いしようかなあ?


と、

今年も、
そわそわ

そわそわ

…。



まだ、信じてくれているのかなあ?


それとも、ぜ~んぶお見通しのうえで、
親の気持ちに合わせてくれているのかなあ?





娘たちの姿を見ながら、
11歳の頃のわたしのクリスマスを思い出した。



当時、小学5年生のわたしの周りでは、
サンタクロースの存在を信じている子も、
正体を知っている子もいて、


わたしは、正体を感じつつも、まだ、サンタの存在を信じていたかった。



だから、
クリスマスの数週間前、仕事を終えた父に

今年もサンタさんが来るかなあ。
どんなプレゼントを運んでくれるかなあ。



と話したら、一言。


お前はもう、11歳だろう。
何を夢みたいなこと言っているんだ。

いつまでも、サンタを信じているなんて言ってたら、
騙されるぞ!







大撃沈!


もう、30年以上前の話なのに、
ヒリヒリとした痛みとともに、その時の光景を鮮明に思い出す。



知ってるよ!

知ってたよ!

でも、信じたかったんだよ!

信じていたかったんだよ!

自分自身が納得いくまで、
思う存分満足するまで、
信じていたかったんだよ!






今になって思えば、あの頃の父は、
私に早く大人になってほしいと思っていたのかもしれない。


ちゃんと、しっかり生きてほしいと思っていたのかもしれない。


父自身が、生きることに精一杯で、
子どもの心にまで気を配る余裕がなかったのかもしれない。




でも、
目に見えないものを信じる、信じたいという子どもの気持ちを
簡単に踏みにじり、
心の中にサンタクロースを住まわせる、
いや、”住んでいるんだよ”と口外することさえも難しくする

権利は、大人にもないはずだ。



(以下、引用)

見えないものを信じることを恥じ、
サンタクロースの話をするのは、子どもをだますことだというふうに考えるおとなが、
子どもの心のふしぎの住むべき空間をつぶし、
信じる能力を奪っているのではないだろうか?


(引用ここまで)





そんな父も、

今年もサンタさんは来るのかなあ?

お前たちの家には煙突がないから、
どこからはいるのかなあ?


なんて、今や孫たちに笑って話しているのだから、
時間って…宝物だ。




いつまで、サンタクロースの部屋が娘たちの心の中にあるのだろうか?

いや、実は既に、サンタクロースに代わる新しい住人が住んでいるのだろうか?
(親に合わせてくれているだけなのか?)


わからないけれど、


クリスマスを共に迎える幸せを、
今はただ喜び合いたい。



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玄関前の棚をクリスマスバージョンで飾ってみました☆
2018.12.25 Tue l 絵本以外の本 l コメント (0) トラックバック (0) l top